歳末明治座る・フェア~年末だよ!全員集合!~ 覚書

一番やりきれないのは、海尊ちゃんと義経くんの最期のシーン。

やっぱりねって感じだけど。「お願い聞いちゃったらさあ、罰になんないじゃん!」って呆気からんとして笑う義経くん(ってかもう手紙の話きいて「そっか、君の仕業だったのかあ」って言うあたりで全部悟ってあきらめついてもう何も思い残すことないわって雰囲気だった。ものすごく考えてるんだろうね……やっぱりすごいや……矢崎さんって呼ぼう)と、その義経くんの言葉きいてものすごく泣きたいけど泣かないぞって顔で「うん、そうだよね……」って言う海尊ちゃんの対比。ここ大事。そのあとの「うん」「うん」がとにかく声にならない声って感じで、なんていうの、義経くんがすっげえ優しい顔で語ってるけどさあ、その後ろで刀持って今からそのあるじを殺さなきゃいけない海尊ちゃんはさあ、その顔を見ることができないわけじゃん。海尊ちゃんが最後に見た生きてる義経くんの顔はさあ、「君は強いよ!」って言ったときの顔じゃん。ってことはさ、これからずっと生きていく間、その言葉は絶対に忘れないわけじゃん。強いよ、って言われたことは忘れないわけじゃん。だけどそれを誇りにはできない。強い自分だったからこそ義経くんの命を奪う結果になったのかもしれない。決してほめられたことではない。あのシーンじゃなかったら、もしくは天使組が揃って果てることができる結末だったなら、それはきっと最高の褒め言葉だったはずなのに。って考えていくと本当につらいし泣きたいし泣いた。

 

泣き叫ぶ海尊ちゃんは一体どのタイミングで人魚の肉を食ったのか。そこも重要。うわああ、うわあああああ!!!って泣き叫ぶシーンはかなり短いものだったけど、まあそれは舞台上だからであって、実際はもっと長い間泣き叫んでるよね。当たり前だけども。でも、あんまり長い間泣き叫んでいたら確実に敵兵に見つかるよね。だから実際はかなり早い段階で人魚の肉を食べないと不老不死にはなれない。で、舞台と史実を照らし合わせるのは今回はナンセンスかなーとも思うんだけど、一応義経は自害したってことになってるじゃん。まあ妻と子を殺してから自害って流れだけど、そこは劇中に出てこなかったからあえて触れない。後世の創作も詰め込まれ放題だし、不明な点が多い義経だけど、自害したって説が一般的で。その説で考えるなら、海尊ちゃんは誰にも知られない間にひっそりといなくならなきゃいけないんだよね。景時たちが義経の首確認してるらしいし、景時は確実に海尊ちゃんの顔を知ってるから。そうなると、……あ、あれ?舞台上で泣いたぐらいの時間でしか泣き叫べないことになる??全面方位されてるからね一応ね、ほんと時間ないからね一応ね。敵がものすごく優しい人たちだけで構成されてたら別だけどさ~~誰だって手柄は取りたいはずで。

あ。泣き叫ぶ資格すら自分にはないんだってふと気付いて、涙を必死に止めながら立ち去る海尊ちゃんの姿を思い浮かべて今ものすごくストンと落ちた。わたしの結論はこれです。これでいきます。(笑)どうしてもやりきれなくて泣き叫ぶけど、結局それも罰だから。泣き叫びたいけど、泣き叫んでしまったらそれも自分の願いを叶えてしまうことになるんじゃないかって思って、必死に歯を食いしばって涙を止めようとあがいて、そこで人魚の肉の存在を思い出して。震える手でそれを取り出して、義経くんのかたわらでそれを食べてから、誰にも見つからないようにその場を離れる海尊ちゃん……の図を想像して今K.O.くらった。カウンターパンチじゃんか何これもうやだ海尊ちゃんがいとしい。

 

劇中で「ずっと、一緒にいよう」って海尊ちゃんが義経くんに言ったのは二回。一回目は「この人たちと出会えてよかっためっちゃ好きずっと一緒にいたいよお!」っていう、まあ一種の昂ぶりからきた言葉だよね、あの感じだと。二回目はおそらくみんなを励ますために口にした。でも、そのときはまだ死をもってしてその言葉に託した願いを叶えるすべはあった。みんなで最期を迎えることができたら、すなわちずっと一緒にいたことになる。死んだ後もきっとみんな一緒にいることができる。頑張って生き延びようねの意味なのか、死ぬまで一緒に戦おうねの意味なのか……海尊ちゃんが二回目に発した言葉の意味合いがどっちなのかは想像することしかできないけど、時代背景も含めて考えるなら後者だと思いたいなあ。だって本望なわけでしょ、一緒に戦って死ぬことは。秀衡・牛貴と義経海尊を対比するような演出があったので、この劇中でも「あるじと共に果てるのが理想の主従」っていう設定になってるんだと思う。

で、ここからは妄想。もしも海尊ちゃんが三回目にその言葉を口に出すとしたら、義経くんの亡骸を抱えてるあのときなんだよね。自分を戒めるために、その言葉を忘れないために、忘れないどころかその言葉で自分の首を代わりに締めるため、とか。そういう意味合いで口に出してるとこ想像したらつらい。つらいけどあの状態の海尊ちゃんならやりかねない。やってそう。普通にやってそう。「義経君はずっと自分の心の中にいるから、これからもずっと一緒にいよう」って意味で言うのではなくて、自分の願いごとを打ち砕いたのは自分なんだ、自分の無垢さだったんだっていうのを自分に突きつけるために口にするんだろうなあ。うわああああつらい!!!;;;

 

あの世でショートコントの練習を繰り返して、「いつか海尊くんがこっちに来たら思いっきり笑わせてやろうね!」って笑ってる義経くんの話を支部でよく見かける気がする。確かにね、義経くんはまさか海尊ちゃんが人魚の肉を食べて不死身になってるだなんて思わないよね。人魚の肉を海尊ちゃんが所持してることすら知らなかったんだろうし。そう考えると切ない。ほんと切ない。

個人的には、もし舞台間クロスオーバーをするなら大江戸を推します。「海尊くん全然来ないじゃん!なんだよ!!もう俺生まれ変わってやるからね!!!」って転生した結果が浅野内匠頭で、海尊さんはまだ生きてて、綱吉に説法しにきた海尊さんとバッタリ出くわして動けなくなる海尊さんと内匠頭とかどうかなダメかな。あーでも内匠頭は覚えてない設定でもいいや。いずれにせよ海尊さんさらに病むパターンしか想像できないけど。ほんと私が付け足す設定はバッドエンド要素しかないなと常々思ってはいるけどやめられないよね~根っからのメリバ好きでごめんなさい(今回に限ってはメリバですらない)


さんざん言ってきたけど、私はこの二人(義経くん・海尊ちゃん)を主従だとは呼びたくないです。主従っていうよりは、もはや友達っぽいなって思う。お互いのことを「義経くん」「海尊くん」って呼んでる時点で、私の中の主従像とはだいぶかけ離れてる。主従っていうか、うーん、ほんともう仲間って感じ。私が思う主従像は、ずっと一緒にいて、絶対的な上下関係があって、そのことに双方なんの疑問も抱かずに過ごして、最期は一緒に果てる・もしくはあるじのために果てるものなのです。海尊ちゃんと義経くんに至ってはずっと一緒にいたわけではないし、むしろ海尊ちゃんは自分の意思ではないにしても何度も義経くんを裏切る行為をしてるし、最後の戦いにすら参加しなかったわけで(合わせる顔がないから参戦しないっていう海尊くんの思いがいまいち理解できなかったから、ここの考察は割愛。いや、現代感情論としては理解できるんだけど、一応あの時代の話ってことにしている以上、海尊ちゃんがどうしてその突拍子もない考えに至ったのかの経緯が私には想像できなかった)、まあとにかくそんな二人を主従って呼びたくはない。便宜上「あるじ」って書くことはあっても!(笑)ただ、海尊ちゃんと義経くんは主従ではないけど、海尊さんと義経くんは主従と言ってもいいのかもしれない、とは思う。「あのお方は~」って言うじゃん、海尊さんは。海尊ちゃんだったら、義経くんのことを絶対そんな風に話さない。
400年も生きてるうちに、海尊ちゃんは海尊さんになった。何度も何度も義経くんとの思い出をかみしめて、どこか義経くんを神格化している節も無きにしも非ず。そういうとこも含めて、海尊ちゃん中心の考察ネタはほんと人によって全然観点違うと思うし、目の付け所も違うはずなんで、ほんとみんなで考察しよう!?るフェア咀嚼してから講演会みんなで臨もう!?!?って言いたいです。そろそろ筆をおきます。

 

海尊ちゃん以外で考察したいのは能成なんだけど、舞台上でもあんまりヒントないし、史実調べようにもあんまり残ってない人だから八方塞がり。佐藤兄が死んだときから、態度が一変したように見て取れる舞台だった気がするけど……いつまでも振り向いてくれないからなのかな……うーんそれはそれでいいんだけどなんか足りない気がしてならんのです。